[レポート]宇都宮大学の「地域デザイン訪問」で日光をガイド&レクチャーしました!

9月27日(水)

宇都宮大学の地域デザイン科学部建築都市デザイン学科の一年生、約50名をご案内しました。
「地域デザイン訪問」という授業の一環として、昨年度から日光を訪問。
昨年、今年と、建築やまちなみ形成を主眼に東町をガイドしています。

今回は「日光門前の時層を飛び回る小さな旅〜建築・まちなみを主眼に江戸から明治へ〜」をテーマに、約2時間の行程でした。
出発前に聞いたところ、今回が初の日光に訪問という学生さんも多かったようでした。

出発はJR日光駅。
この駅舎を設計したのはどんな人物だったか。その背景は?
2階のホワイトルームでは、少し歓声も上がっていました。

東武日光駅前を経て、国道119号大通りの拡幅区間に。
町内毎に、順に整備が進んでいる様子が、石屋町と御幸町の町境ではよくわかります。

稲荷町の虚空蔵尊界隈から大横町にも足をのばしました。
江戸時代が薫る空間です。

日光行政センター、鉢石のまちなみを経て、金谷ホテルに。
ホテルの小杉様から説明もいただきました。

歩いた後は、昼食をとりながら、グループ毎でディスカッションし、

・企業の看板の色を配慮している様子が見えた。
・拡幅した歩道は歩きやすく、整備の意図がわかった。
・街路灯など、建築だけでなく、まちなみが意識されている様子が良かった。
・古いものを大切にしている様子が見えてよかった。
・カフェなど、新しいお店ができている様子が見れて良かった。
・坂道は解消してはどうか。

など、様々感想や意見をいただきました。

一年生諸君に今回のまちあるきがどのように響いたか、引続き気になる所です。
今回の日光訪問が「地域デザイン」に生きるように、また今後の充実した学生生活に生きるように、なれば幸いです。

宇都宮の安森先生はじめ、引率の先生方、TAの塚本さん(写真もありがとうございます)、大変お疲れ様でした。
また、日光側で受け入れにも関係いただいたJR日光駅様、日光行政センターの島センター長、金谷ホテルの小杉様はじめ関係各位に、我々からも御礼申し上げます。
ありがとうございました。

<理事長・岡井>

[報告]県主催「とちぎ元気フォーラム青年版」にて講演しました!

9月2日(土)

栃木県庁講堂で開かれた「知事と語ろう!とちぎ元気フォーラム青年版」にて、ゲストスピーカーとして講演して参りました。

フォーラムは、知事と県民との直接対話の機会を設けようという趣旨の下行われているものですが、
毎回、県内各地域でまちづくり活動に取り組む方々をゲストとしてお招きしているとのこと。
今回は、まちあるき事業「日光ぶらり」の内容を中心に、日光門前まちづくりの活動についてお話させていただきました。

「日光ぶらり」はあのNHKの人気番組“ブラタモリ”の日光編の取材にも協力したのですよ~、とお話したところ、福田富一知事からは、
ブラタモリならぬ“ブラコイケ”でこれからも頑張ってと激励をいただきました^^;

講演の最後に…
日光は東照宮など有名な場所がたくさんあるし、観光地で安泰だねと言われることも多いが、決してそうではない。
有名観光地の名に胡坐をかいているだけではダメだ。
日光にはまだまだ眠っている魅力的な資源がたくさんある。
「日光ぶらり」の目指すところの一つは、そうした資源を掘り起こし、光を当て、日光の魅力をさらに磨き上げることにある。
日光はまだまだ努力を続けなければならない…

といったお話をさせていただいたところ、
参加者の方から、そういった心意気に感激しましたとの感想を頂戴し、嬉しい限りです。

私たちの取り組みはまだまだ小さいものですが、
県内各地でまちづくりに取り組む皆様に、少しでも何らかのヒントになれば、と思います。
フォーラムにご参加いただいた皆様、お招きいただきました栃木県関係者の皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

(事務局長 小池)

※日光門前まちづくりでは、ご要望に応じて、このような講演やまちづくりセミナーの講師などにご協力させていただいております。
(但し、基本的に有料になります。)
ご用命は、日光門前まちづくり事務局までお問合せ下さい。

問い合わせ先:下記ホームページ・お問い合わせフォームより
https://ssl.form-mailer.jp/fms/2c1292a3451893

[レポート]芦原義信建築アーカイブ展に行ってきました。

8月1日(火)

武蔵野美術大学で開催されている「芦原義信建築アーカイブ展—モダニズムにかけた夢」に行ってきました。

※内部は撮影禁止のため、外観のみです。

代表作品11点の図面や写真、解説が加わり、氏の足跡を再確認、または再発見できる展示でした。
この「代表作品」の中には1959年の「日光ユースホステル」の図面や写真も展示されていました!!

これまで、旧日光ユースホステルの見学会や活用に向けた検討にあたり、雑誌等で発表された建設当時の写真等は確認していたのですが、ここでは新たな発見もありました。
また、ハーバード大に留学時の課題図面や自邸のアトリエ内の調度品、往時の様子がイメージできるものも多数ありました。

武蔵野美術大学のキャンパスも芦原氏の設計。

展示会の図録も販売されています。

新たな活用を目指す旧日光ユースホステルは、現存する氏の作品では最古のものです。1950年代のモダニズムを体現するような、コンパクトで美しい建築です。
役目を終えて、
日光市の所有建築ですが、本年度中に今後の方針を決定する予定と回答を得ています。

展示会は、8月13日まで開催中。まだ間に合います!お盆、夏休みに是非。
http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/11114

これまでの旧日光ユースホステルに関する活動の記事はコチラ↓

▶過去の関連記事
【進展】旧日光ユースホステルの利活用について(2017.3.22)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=1506

前告知:旧日光ユースホステルを考える集いVol.1を開催します!(2015.8.21)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=1175

旧日光ユースホステル冬だより(2010.12.13)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=248

メディア掲載情報(その3)(2010.9.2)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=226

先日の見学会がBlogに(2010.9.1)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=224

メディア掲載情報(2010.8.31)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=222

旧日光ユースホステル見学会、盛会!(2010.8.24)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=219

旧日光ユースホステルの見学会を開催します!(2010.8.18)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=217

<理事長・岡井>

[レポート]「世界文化遺産」地域連携会議の総会に出席しました。

8月1日(火)

東京、霞ヶ関で開催された「世界文化遺産」地域連携会議の総会に出席しました。

梅雨が明けたにも関わらず生憎の雨模様の東京に、全国の世界文化遺産を擁する地域から首長や自治体職員、識者・専門家、企業、メディア、そして我々のように地域で活動する民間団体など約80名が集まりました。

年度の報告や事業計画と共に、各地の近況や抱える課題なども意見交換の時間で各地から情報提供がありました。
大きなトピックスとしては、
会の一般社団法人化に向けて整備をはじめる旨、事務局から報告があった
ことと、
・姫路市から2020年の東京五輪に向けた共同イベントの開催なども提案されたこと
が挙げられます。

益々期待が高まる国内の「観光」。
17にまで増えた、国内の世界文化遺産。

ある面では地域間の競争ではあると思います。が、旅行者の視点に立ってみると「地域間のネットワーク」が(これからは特に)肝要と考えます。
また、国や行政の施策や観光事業へのバッアップも重要ですが、「まちづくり」の視点を持って民間が地域経営に積極的に取り組む事も必要不可欠であると考えます。
連携会議を通して、今後も学び、連携を続けていきたいと考えています。
特に同じ関東圏内で隣県でもある富岡、東京以北、東北への玄関口という自覚のもとに平泉や釜石との連携をはかっていきます。

毎年開催されている「世界遺産サミット」、今年度は島根県大田市の石見銀山を舞台に11月に開催予定です。(岡井もパネラーの一人として登壇予定です。)
沢山の方に是非お運びいただければと思います。
なお、このサミットは、2019年度は日光にて開催予定です。

<理事長・岡井>

レポート《日光ぶらり》日光は地形だってけっこうすごいぞ!partⅡ(後編)

日光は地形だってけっこうすごいぞ!partⅡ

2日目の28日(日)は日光門前編。
昨日とは打って変わって、快晴。
気持ちの良いまちあるきとなりました。
この日は、当法人の岡井健理事長が皆様をご案内。
日光総合会館を出発し、西町〜山内〜東町と、日光門前を歩き尽くします。

午前中はこれまではあまりご案内してこなかった憾満ヶ淵・化け地蔵や、火の番屋敷跡などを巡り、金谷ホテル歴史館(金谷侍屋敷)へ。
坂巻館長さんからは金谷ホテルの歴史について解説をいただきました。

午後は、二荒山神社、東照宮へ。
途中、山内にひっそりと佇む保晃会碑や、稲荷川へと続く江戸時代の古道へも寄り道。
東町では、金谷ホテルや日光行政センター、稲荷町の河岸段丘など縦横に歩きまわってJR日光駅でゴール。
岡井理事長曰く、歴史あり地形あり、なんでもありの日光門前“全部乗せ”コース!を堪能しました。

両日とも、好奇心旺盛な30名を超える皆様(延約60名!!)にご参加いただき、盛り沢山の2日間となりました。
ガイドいただきました小島さん、坂巻さんはじめ各所でご協力いただきました関係各位の皆様、
ご参加いただきました皆様、大変ありがとうございました!

 

さて、余談ですが、今回の日光ぶらりでは面白いコラボレーションが…
初日の案内人の小島さん金谷ホテル歴史館の坂巻さん
参加いただいた東京スリバチ学会会長の皆川さん路地連新潟の野内さん、にはある共通点が…

そうなんです、この4人の皆さんは、あのNHKの人気番組「ブラタモリ」でタモリさんをご案内した皆さんなのです!

また、今回のテーマ「日光はなぜNIKKOに?」は、「ブラタモリ」奥日光編のテーマと同じですが、
このテーマを提案したのは、実は、当法人の岡井理事長!

ということで、今回は、コース途中では「ブラタモリ」の裏話も満載、ブラタモリファンには楽しいひと時ともなりました^^

<事務局>

レポート《日光ぶらり》日光は地形だってけっこうすごいぞ!partⅡ(前編)

4月より展開してきました、“プレDC記念・日光ぶらりスペシャル2017春/初夏”、
締めくくりは、5月27日(土)、28日(日)の2日間、
東京スリバチ学会さんとのコラボで「日光は地形だってけっこうすごいぞpartⅡ〜日光はなぜNIKKOに?〜」を開催しました。
“partⅡ”とあるように、昨年秋に引き続いての開催ですが、
今回は、奥日光にも足を延ばしました。

初日の27日(土)は奥日光編。
この日の案内人は、奥日光の歴史に詳しい郷土史家で中宮祠自治会会長の小島喜美男さん
日光自然博物館の森田孝道さんにも加わっていただき、中宮祠の船の駅を出発し、中禅寺湖畔を歩きます。

最初に向かったのは西六番園地。

長崎のグラバー邸で知られるトーマス・グラバー、ハンス・ハンターの別荘跡地で、150年前当時の石の暖炉や煙突跡が今も残ります。
本来であれば絶好のロケーションなのですが、この日は生憎の深い霧。
中禅寺湖も男体山も残念ながら見えず、この後乗船する予定だった遊覧船も欠航となってしまい、コースを一部変更し、中宮祠二荒山神社や巫女石などを見ながら、歌が浜方面へ向かいます。

昨年再整備された英大使館、そして伊大使館別荘を見学し、往時の外交官の優雅な避暑地生活を体感。
夕暮れも近づくと、霧も晴れて、幻想的な湖面が顔を覗かせ、その美しさに息を呑みました。

「日光はなぜNIKKOに?」を紐解きながらの小さな旅となりました。

<事務局>

レポート《日光ぶらり》謎解き稲荷町を開催しました!

5月4日(木・祝)

前日に引続き、日光ぶらりを開催しました。
初めてのテーマ「謎解き稲荷町〜なぜ稲荷町はここにある?!」です。
日光門前の清閑界隈・稲荷町を歩きました。
案内人は、当法人事務局長で生粋の“稲荷町っ子”の小池です。

この連休の日光門前の大通りは、驚異的な賑わいでした。
そんな大通りを横目に、江戸時代の面影残る稲荷町界隈を、1時間でぐるりとまわりました。

大通りと並行して走る、稲荷町の目抜き通りは、昭和薫る「サンフラワー通り」。
今も生きる生業と、往時の活況や街並みをイメージしながら歩きます。

稲荷神社は江戸初期には別の場所に。
さて、それはいったいどこで、何故今はこの位置にあるのか?
そもそも、町名の基になる神社が無いとなると、町内(まち)も別の場所にあったのでは?
そんな疑問はコースの終盤に明らかになります。

きなこや横丁から神橋側の一段高くなった地形に、江戸の面影が色濃く残ります。
お馴染みのシダレザクラや虚空蔵尊などをめぐります。
…さて、なぜこの位置に色濃く残っているのでしょう。地形的理由や、謎が解くための痕跡も登場しました。(地元でもあまり知られていません!)

最後は小判稲荷(胡桃稲荷)から、大谷川と稲荷川を望み、大通りに団子状に連なる六つの町内とは別に、なぜこの場所に稲荷町が立地するのかの答え合わせをしました。

大通りの喧噪から少しだけ離れて、謎を探りながら、痕跡を探しながらのゆったり一時間。小さな旅でした。
謎が気になる方。是非、次回開催の際にご参加下さい。

今回ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!!

<事務局>

レポート《日光ぶらり》日光はなぜ“NIKKO”に!?〜を開催しました!

5月3日(水・祝)

日光はなぜ“NIKKO”になったのか?をテーマに、建築を主眼に東町から西町へと歩きました。
晴天の中、明治、大正期の日光に想いを馳せながら、新緑のまちをぶらぶらと。

約一日かけて、日光門前の“NIKKO”の面影を探したツアー。少しだけその様子をお届けします。
案内人は、当法人理事長で自称“散歩師”の岡井です。

JR日光駅では、お馴染みのホワイトルームの他に、なんと特別に貴賓室も拝見できましたよ。(しかも、駅員さんの解説付き!)
海外の有名建築家の設計、とまことしやかに言われてきたこの建築。
最近判明した本当の設計者とは?
そのエピソードとは?

地元では「市役所」としてお馴染みの日光行政センターでは、一階と二階の大会議室も見学させていただきました。

金谷ホテル。歴史の層が気品溢れる佇まいにそのまま現れているようです。

参道を一歩入ると静かな空間が。
ここが火除け地の庭園として整備されたこと。そこに保晃会の碑が今も大きさの割にひっそりと佇んでいること。参道を行く方々のうち、一体どれくらいの方がご存知か。
さて、保晃会とは…?この書は誰が書いたものか?

日光奉行所跡。江戸から明治・大正、そして今にかけて、この場所がどのような変遷を辿ったのか。

江戸から明治。大きく世の中が変わった時に、

日光はどのように「守られた」のか
誰によって日光の魅力は再発見されたのか
世界的観光地NIKKOになるためには、どのような条件が必要だったのか

などを、大きく3つのポイントに整理してお話ししました。
…答えは、今後同テーマで開催の「日光ぶらり」でお話ししますので、ご参加をお待ちしております。笑
実際に歩きながら確かめて下さい!

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!!

<事務局>

まちづくりカフェVol.10〜日本まちあるきフォーラムin長崎参加報告〜を開催しました!

3月9日夜、久々の「まちづくりカフェ」を開催しました。
(なんと前回は2014年!)
「まちづくりカフェ」は、まちづくりについて、気軽かつフラットに語り合える場として、(超)不定期で開催しています。

今回は、先日出席した「日本まちあるきフォーラムin長崎」の報告会として開催。
岡井と小池事務局長の二人で参加してきた様子をお伝えしつつ、日光各地区のまちあるきの情報交換なども。

まちあるきガイドツアーのパイオニアである長崎。
このフォーラムには、全国から関係団体が集まりました。
本大会は、長崎さるくの創成期に市の職員として事業を担当していた田上市長と、大学で「まちあるき」を研究した金さんの対談形式で、「長崎さるく」の10年の取り組みの蓄積から得た「気づき」や「大切なこと」、外からの視点で、全国のまちあるきガイドツアーを研究した過程で見えた事などがたっぷりと語られました。
また、大会前後のエクスカーション(まちあるき)メニューも充実。当日の大会前や、翌日の正規のコースはもとより、大会と懇親会後や大会前日の夜などにも、ホスト役のNPO法人長崎コンプラドールの方々によるミニツアーがあり、いずれも感じ入りました。

これらの熱を持ち帰って広げるべく、報告会を開催したわけですが、今回のまちづくりカフェには、嬉しい事に、鬼怒川地区や足尾地区からもご参加いただきました。
日光各地での「まちあるき事業」も、ある部分では連携・連絡が必要なのではと思っています。

また、このような機会を(できれば積極的に)設けていきたいと思っております。
求む!話題提供者!我こそは、という方はご連絡をお待ちしております。

長崎の話しをもう少し詳しく聞かせて!という方は、ぜひご連絡下さい。

<岡井>

日光まちづくり講座『これからの「ニッポンの旅」とは?』  開催レポート(3)

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<「旅」と「旅行」と多様性>

私は「旅行」を売っていた。添乗し実際にその「旅行」に付いて行ったりもしていた。〇時の電車に乗り、見学地は〇時から〇時まで、などという計画をし、販売し、その旅程の管理をしていた。正直、自分だったらこんな決められた旅行は耐えられないし、つまらないと思っていた。しかしながら、当時、年配の方をはじめ、多くのお客様がそれを求めていたような気がする。

鉄道運行時間の正確さが世界を驚かせる、几帳面な日本人の行動スタイルなのか?

古来、日本人は「旅」をしていた。宮本武蔵、松尾芭蕉、小林一茶、旅の絵師など、自身の技量、腕前を頼りに各地を「旅」していたし、弥次さん喜多さんも車寅次郎も、行程表の無い「旅」をしていた。

私見ではあるが、「旅行」というのは、多分に軍隊行動に起因しているように思える。陸軍の編成単位を旅団と呼び、古代中国の軍隊の単位はまさに「旅」だったようだ。戦いの勝敗を決める軍事行動は、何時に出発し到着するか、時間に正確でなければならない、まさに「旅行」だったのである。

戦後の日本は、集団就職、社員旅行、修学旅行、など集団での行動を強いられる場面が多く、また人と同じ事が安心だった時代なのではなかろうか。

最近では再び「旅」をしている人が多い気がする。その目的、目的地は人それぞれで、いわゆる観光地だけではない。スポーツ、音楽、歴史、建物、食、それぞれの趣向でそれぞれに「旅」を楽しむ時代になった。結果、旅行会社が一律に作った行程では旅人たちのニーズをカバーしきれなくなってきたようだ。

近頃、旅人のニーズは多様性を帯び、結果、多くの日本人が「旅行」ではなく「旅」をすることになった、舟越氏の「旅」と「旅行」の違い、阪本氏の多様性の話はリンクしているのではなかろうか。

日光もこの多様性に富んだ旅人たちを迎え入れるべく、多様性に富んだ観光地として、より多くのチャンネルを構築して行くことが重要だと改めて考えさせられた。

(副理事長・吉新 一郎)