日光まちづくり講座「日光門前をどう発信するか?」 開催レポート(1)


6月30日(火)

日光まちづくり講座「日光門前をどう発信するか?」を開催いたしました。
日光殿堂案内の春日氏を講師にお迎えし、約30名の方々に参加いただきました。

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参加したNPO日光門前まちづくり役員のレポートを紹介いたします。

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「日光門前をどう発信するか?~まちなかに潜む歴史の痕跡とその伝え方~」を開催させていただきました。
毎回、様々な方をゲスト講師にお迎えし、日光や日光門前のあれこれについて学び合う日光まちづくり講座。
今回で5回目を数えますが、今回の講師は、皆様にはお馴染みの“堂者引き”日光殿堂案内協同組合理事長の春日武之さん。
世界遺産から紐解く日光の歴史を皮切りに、
勝道上人の神橋伝説で知られる深沙大王が歴史上で現れるのは2回しかない、
“出町・入町”の“出町”は当初は稲荷町だけだった、
“栗石返し”は日本で最も早いボランティア、
などなど、
日光(門前)を語る上で、市民の間でも意外に知られていないポイントなどをお話いただきました。
また、社寺の案内人としてのご経験から、
俺が一番の案内人だという意識で、点ではなく線で案内しよう、
知識だけではダメ、それを人に伝える能力を磨け、
おもてなしは“表無し”で“裏がない”、だから真心で接しよう、
など、
市民としてお客様をお迎えする際の心掛けの大切さについても、お話いただきました。
春日さんのユーモア溢れ、かつ豊富な知識から導き出されるお話は面白く、あっという間の一時間半でした。

日光まちづくり講座の次回の開催は未定ですが、次回も皆様にとって興味溢れる内容で企画して参りたいと思いますので、
またのご参加をお待ちしております!

(事務局長・小池秀明)

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春日さんの殿堂案内(堂者引き)を聴かせていただいたのは確か数年前、流れるようなリズムに時折入れる笑い。
まさに日光案内仕事人といった感じでした。
世界遺産の社寺を廻らない座学での講義、今回の講演会はまた違った歴史を学ぶ場でありました。
世界遺産とは「人類の宝物である」ユネスコ総会にて採択されたのは1972年、偶然にも私の産まれた年でした。
日光で暮らすひとの心がけ、日本人としてのあるべき姿などを心地よい口調で話される姿はまさに堂々、かつ歴史案内人として知識の深さが感じられます。

たくさんお話いただきましたが、とりわけ私の心に響いたことばは、
「人に伝える知識と伝える能力を日々鍛える」
「歴史に学び先人の良い所はマネて、悪いところはやらない」
「そこに住む人々が自分のまち(街・町)を話せれば良い」
(松原町は松原町の話を、自分のことは自分の良い所を)
「日光は山と仏と神がいる」
「おもてなしとは、ウラがないこと→おもてあり」
「恒例山 家康公の墓の場所の意味」
「天照(伊勢神宮)東照(東照大権現)」
「おものみ 御物見(おんものみ)前の歴史」

また、栃木県人でありながら、円仁さんについては知らないことばかり、『入唐求法巡礼行記』を熟読する決意をいただきました。
円仁(えんにん、延暦13年(794年) – 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。
入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。

今回の春日氏の講演会は〜まちなかに潜む歴史〜を主題にありましたが、自分たちが学び、
聴いて来た当たり前ことを子供たちや次世代へ伝えていくことの大切さを再確認することが出来た講演会でした。
最後になりますが講師を受けていただきました春日理事長はじめ、
関係者各位、ご多用の中をご参加いただきましたみなさまに御礼申し上げます。

(理事・山本敏)

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開催レポート(2)につづく

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