日光まちづくり講座「日光門前をどう発信するか?」  開催レポート(2)


日光まちづくり講座「日光門前をどう発信するか?」の開催レポートの第2弾です。

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いかに知識があっても、伝える能力がなければ伝わらないという春日氏のことばが、心に響いた。
伝える対象によって伝え方を変える、そうしなければ伝えたいものの表面は伝わっても、本質が伝わらない。
これは文化遺産、文化財だけの話ではない。私たちは様々な場面で、伝えるものごとの知識と共に、あらゆる人に対してそのものごとを伝える方法も学ばなければならない。
また、世界遺産という枠にとらわれずに日光門前を発信する方法、文化遺産を未来へ繋いでいく方法を常に考えていた私にとって、
春日氏の世界遺産という冠を発信のツール、文化財を愛おしく感じるためのツールとして使うという考えは、新鮮だった。

日光の門前町をどう発信して行くか。
日光の遺産が一番だと感じ、それをどのような方法で世の中に発信して行くか。
現在、日本各地で伝統行事をはじめとした無形、有形文化財の形骸化が危惧されている。
日光の門前町や社寺も、本来の役割が段々と薄くなり、名前だけの「門前町」、「社寺」となってしまっていないか。
春日氏の講演は、日光山や日光門前町の役割、その魅力、そして魅力発信の方法を再び考えさせられるものだった。

(会員・飯村檀)

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「堂者引き」という江戸から続くガイドシステムに、非常に興味があった。

その昔は、門前町の入り口から案内しており、裃のレンタルなども手がけていたという。
商とその仕組みは、時代に連れる。
そんな時代の街の風景、人々のやりとりはどんな様子だったか、イメージを膨らまさざるを得ない。

昨年から本格的に開催しているまち歩きガイドツアー「日光ぶらり」も、「歩く」「案内する」のみに特化する必要はなく、様々なニーズに対応できればと思っているし、何より「楽しみ」を提供したいのである。
春日さんの講演中の言葉は示唆に富んでいた。
言葉の意味を辿ると、「何故?」がクリアになる、という話しは腑落ちだった。
特に地名・町名は大切にしたいところだ。

奈良時代には現在の宝殿あたり、鎌倉時代には表参道や中山通り一帯、そして江戸時代には鉢石宿から松原町までと、時代と共に移ってきた門前町(街場)の変遷の話しも興味深かった。

「日光」の意味、そこに秘められた時間と事柄をもっともっと掘り下げて、それを町衆である我々が学ばないといけない。
これは、春日さんの言葉や様子からもはっきりと読み取れた。合併した大きな日光だからこそ、なのだろう。
また、それを基に社寺と「まち」の関係性を、(意識的に)もう一度整理し見つめ直す作業の必要性が感じられた。
それは、「日光という特殊性」を振りかざしてはならない、という条件のもとに行われるべきだと考えている。

この講演会に参加されていたNPO会員の奥様方が「早速、春日さんに案内していただくことにしたの」と、終了後に嬉しそうに話していたのが印象的だったし、この会の成果の一つであると思った。

こうした講演会は、特に今年度から来年度にかけて積極的に開催していきたいと考えている。
講師はこれまでの通り、内外からお招きする予定だ。

参加いただいた方々、講師の春日さんに感謝申し上げたい。

(理事長・岡井健)

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日光まちづくり講座「日光門前をどう発信するか?」開催レポート(1)
http://blog.npo-nikko.jp/?p=1091

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